発達支援センター COMPASSの歩み
コンパスの始まりはボランティア活動
コンパスはもともと代表を務める北田のボランティア活動から始まりました。昭和61年、当時大学生だった北田は知人に声をかけ、北九州市の中島児童館で子ども向けボランティア活動を行うことにしたのです。不登校や家庭内暴力、素行不良などの課題を抱える子どもたちを対象にしたボランティアでしたが、活動をはじめてすぐに100人、150人と子どもたちの数は増えていきました。
多くの子どもたちが集まったのは喜ばしいことでしたが、会場費が1回6,000円、手作り教材のコピー代が1枚60円…、大学生が自腹で行えるボランティア活動の範囲をすぐに越えてしまいました。しかし、集まった子どもの中には家庭環境が複雑な子どもも多く、全員から一律にお金をもらうことは難しい状況。
そこで北田はボランティア活動と並行して勉強を教える学習塾を開設したのです。中・高教諭の免許を持っていたため、最初は大学受験を控えた高校生から、受験を控えた小中学生のための塾でした。
幼児教育への変遷
多くの子どもたちと接していく中で、北田は記憶力が低い子どもたちが一定数いることに気がつきます。
一生懸命がんばっているのに、学力がなかなか上がらない子どもたち。そんな子どもたちを見ていた北田は、記憶力の低さは言語理解の低さに原因があり、それを解決するのは受験勉強ではなく能力開発であると確信するようになりました。
しかし、能力開発を行うには、高校生では遅すぎる。そうして高校生から中学生へ、中学生から小学生へ、能力開発に適した年齢を探した結果、幼児教育に特化するようになったのです。
これが、今のコンパスの根幹となる「みつば会」の始まりです。みつば会は幼児のための教室で、有名私立小学校や国立付属小学校への合格実績は北九州エリアNO.1を誇っています。
その中で北田が出会ったのが、学習障がい多動症の子どもたちです。みつば会に通う幼児の中には、授業中にじっと座っていられない子どもや、先生のお話を集中して聞けない子どもたちがいました。
「先生、助けてください」。ご両親からのSOSが、療育に取り組むきっかけになりました。発達障がいに関してはまったくの素人、すべてが手探りで試行錯誤の連続でした。しかし、素人だからこそできたことでもあると思います。
技術がないからこそ、同じ問いかけを30分、1時間と飽きることなく繰り返す。そうすると、最初はまったく答えられなかった子どもが、突然答えられる瞬間が訪れる。一度言って分からなくても、何度も何度も繰り返すうちに、できるようになる。
なぜできるようになったのか、どうやったらできるようになったのか、どんな言葉でできるようになったのか。要素分解を繰り返す中で、療育の糸口をみつけていったのです。
コンパスの療育法は、理論から生まれたものではありません。実際に障がいのある子どもたちと接していく中で、コンパスはそのやり方を確立させていきました。
なぜ褒めて伸ばす教育なのか
コンパスでは発達障がいのある子どもを褒めて伸ばしますが、これにも長年の経験に裏付けられた確たる理由があります。
人間は気持ちで動く。小さくても自尊心をもつ子どもたち。どういう声かけをしたらどういう気持ちになるのか。自ら率先して学習するようにもっていくためには、どういう声かけが必要なのか。
恐い先生が良いのか。優しい先生が良いのか。それとも、面白い先生が良いのか。実際に竹刀を持って、恐い先生を演じたこともあります。しかし、恐い先生の効果があるのは、先生が子どもたちのそばにいる時だけ。先生がいなくなったらみんなやる気をなくしてしまいます。
実践を繰り返していく中で一番効果が高かったのが、褒めて伸ばす先生でした。先生に褒められると子どもたちは「もっと良い子でいたい」「もっと褒められたい」と思い、自分から学習に取り組むようになったのです。
コンパスの先生は「できなかったね」とは言いません。その子のできなかったことではなく、できることを探します。そして、実際にその子ができたことをたくさん、たくさん褒めます。
すごいね!上手だね!かっこいいね!みんな、天才だね!
例えできることがなくても、褒めることはたくさんあります。
大丈夫だよ。できるよ、天才だもん。あと3回やればできるようになるんじゃない?あと1年やればできるようになるんじゃない?
大切なのは、子どもの気持ちを動かす言葉。心のスイッチを押された子どもは、ご両親が驚くような成長を見せてくれます。
これまでコンパスはたくさんの発達障がいをもつ子どもたちに出会ってきました。子どもたちと接する中で、独自に確立させた療育法。理論を実践に生かすのではなく、実践から積み重ねた理論。それが、コンパスが歩んできた36年の軌跡です。